2022年度 理事長 所信

理事長 所信

公益社団法人 比企青年会議所
第42代理事長   中嶋 亮順

​壊せ常識 挑め青年

埼玉県東松山市 岩殿観音 副住職 中嶋亮順先生 前職では生命科学の研究に従事 論文多数 理科学系の幅広い専門的な知識を現在の仕事に生かしている。また比企青年会議所の様々な問題を理論的にとらえ的確に解決に導いている。比企青年会議所の頭脳。

私たち比企青年会議所が行うべきことは、大きく2つあります。それは、地域として意識 されることの少ない「比企」を確かなものにするよう動き続けることと、この地域の青年が 挑戦できる機会を作り出すことです。そのためにも、私たち自身が常に挑戦を続け、この地 域を牽引し続けなければなりません。それには、現状に満足せず挑戦を続け、規則をもとに 行動するとともに、自身の残した結果を振り返ることが必要だと考えます。よって 1 年間 の指針として以下の「使命・将来像・行動指針」を掲げます。

 【私たちの使命】
比企地域としての枠組みを確立するとともに、比企地域の青年が既存の価値観を転換し、 挑戦できる機運を作り上げる


【私たちの目指す将来像】
常に挑戦を続けることで比企地域を牽引する団体となる


【私たちの行動指針】
「挑戦」「変化」「創造」「法治」「検証」
挑戦 ...... 失敗を恐れずに挑戦するものであるか
変化 ...... 現状に甘んじず改善をはかるものであるか
創造 ...... 破壊のみで終わらず新たなものごとを生み出しているか
法治 ...... 情や馴れ合いに流されず、正しい規則によって行動しているか
検証 ...... 客観的な事象から検証がなされているか


【円滑な組織運営】

良い総会とは、全会一致で意見なく審議可決したものではないと私は考えます。会員全員が参加する場であるからこそ、反対意見であったとしても自由に発言できる場でなければ なりません。そして、会への帰属意識を高めるために、伝統に則ったセレモニーは重要なも のです。以上を踏まえ総会を起点とした円滑な組織運営を進めていきます。

【真に地域を知る】

地域の活性化に必要なことは、闇雲に運動を続けることではなく、自分たち自身を知ることにあると考えます。比企地域は9つの市町村にまたがるため、比企地域という枠組みで地 域を捉える機会は多くありません。比企の名を冠する公益法人であるからこそ、この地域を 客観的に捉え直し、それをもとにした行動を行っていく必要があります。


【運動の起点となる人材を】

青年会議所の本質は運動にあります。その運動を起こすためには、起点となる人物がいなければなりません。そして運動を起こすためには想いの力が必要ですが、私はこの想いは誰 しもが潜在的にもっているものだと考えます。そのため、この想いを引き出すとともに、そ の想いが明るい豊かな社会の実現へと向けられるように、客観的な知識を身に着ける機会 を提供していきます。


【他者の手を借りる広報】

インターネットの普及により、誰しもが情報を発信できる時代となりました。インターネットを介した発信によって新たな認知を得るためには、一定の質のある情報を、継続的に発 信する必要があるでしょう。しかし、それには多くの労力を必要とします。そのため、継続 した広報活動を続けるだけではなく、既存メディアへの情報発信を行っていきます。


【知ることから始める拡大】

新たな会員を増やすためには、私たち自身の魅力を伝えなければなりません。そして、入会後の意識の乖離を防ぐためにも、私たちの弱点や欠点すら伝える必要があるでしょう。拡 大は入会が目的なのではなく、入会後のことまで意識しなければいけません。そのためには、 私たち自身をあらためて振り返り、魅力と欠点を知ることから始める必要があるでしょう。
私たちが運動を続けることで、目に見えた変化は起きないのかもしれません。なぜなら、 私たちの行う運動は、形のある物を作り出すものではないからです。しかし、地域の青年た ちの心が変われば行動が変わります。行動が変われば地域はより活気にあふれたものとな ってゆきます。そのためにも私たちが行動を起こし、その行動に触れた人々の心に火を灯す ような運動を続けていきましょう。

参考資料
理事長所信詳解
多様性の確保 イギリスの生物学者チャールズ・ダーウィンの残した「生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである」という言 葉は、彼の言葉ではない。確かに生物の進化に、自然淘汰による適応、つまり環境に応じた 変化は必要であるが、これは進化生物学の本質を示したものではない。ダーウィンの提唱し た進化生物学の言わんとするところは、遺伝的な多様性を確保することができた集団が変 動する環境に適応できるということである。


彼の言葉は、改革を志す政治家をはじめ多くの場面で都合の良いように解釈され使用さ れてきた。しかし、既に生を受けた生物個体の遺伝情報が書き換えられないように、激動す る社会に適応するために自身を変えていくことは、多くの困難を伴うだろう。集団である 我々は、より多くの人材を集め、多様な組織を作り上げていくことが必要である。それによ り、予測し得ない社会変動にも適応できるような意見が集団内から生まれてくるのである。
しかしながら、現在の青年会議所に多様性は確保されているのだろうか。私が在籍してか ら今に至るまで多くの会員が卒業を待たずに去っていった。これまでの青年会議所の人材 育成方針は、多くの犠牲のもとに数少ない傑出した人材を輩出することであったと感じら れる。果たしてこれは正しい人材育成なのだろうか。
昨年改定された JC 宣言には「持続可能な社会」という言葉が盛り込まれた。この持続可 能な社会のためには多様性が確保されていなければならない。SDGs の掲げる「誰一人とし て取り残さない社会」とは、単なる福祉の言葉ではない。社会の維持のためには多様な人材 が必要であり、誰かを取り残すことは損失に値するためだ。
青年会議所の使命 「我々は何であるのか」という問いに明確に答えることは可能だろうか。私は比企青年会議所が 40 周年を迎えた際に、直近の理事長経験者に幸運にも話を聞く機会を得たが、その 問いへの答えは誰一人として同じものではなかった。もちろん、自身の実体験を通した発言 であるため画一的な見解が得られることはないが、端的に一貫した団体の存在意義を定義 できずにいて良いのだろうか。
私が感じる青年会議所の使命とは「人材開発」である。青年会議所の本質は運動にあり、 この運動は自らなにかを作り出すことではない。よく、広く一般に向けて青年会議所を紹介 する際に「まちづくり団体」と形容することがあるが、これは方便である。我々は自らがま ちづくりをするべきなのではなく、まちづくり運動を起こすことことそが使命である。


青年会議所の本質は運動にある。ではこの運動とはなにか。世間一般が思い描く運動とはスポーツである。しかし運動に適した言葉はムーブメントだ。運動する団体、と表現するよ りムーブメントを起こす団体、と表現した方がイメージが付きやすい。このムーブメントを 引き起こすためには、核となる人物が必要である。そのために、我々は人材の開発を行う必 要があるのだ。
挑戦という特権 挑戦。それは青年にのみ許された特権である。失敗を恐れず、自由な発想を持ち、存分な行動力をもって挑戦することは、我々青年世代でしかなし得ないことだろう。青年会議所が 掲げる機会の提供は、挑戦することと同義であると考えられる。すなわち、青年会議所は挑 戦する団体であるのだ。それであるならば、我々は挑戦を妨げる団体には成り得ないはずだ。
伝統の継承 伝統を受け継ぐとは、維持することではない。時代に即したものへと変化させることである。我々には 40 年以上の歴史があるが、果たしてその数字にどのような意味があるのだろ うか。長い間、団体が継続していることを誇るべきではない。誇るとすれば、この比企地域 を変えるべく、挑戦を続けてきたことである。もし比企青年会議所という団体を今後も存続 させていく必要があるのであれば、そのためにすることは何であろうか。「我々はこういう 団体だから、こうしてはいけない」「これをしなければいけない」というような考えにはな らないはずだ。常に挑戦しつづける団体が本義であるとすれば、過去の経験や既存の業績に とらわれることなく、新しいことを、現状の改善を目指さなければならない。団体の存続の ために活動を始めた時点で、その団体は存続する意味を失う。
比企という冠 比企地域を活動の拠点とし、比企の名を冠する団体であるならば、この比企地域としてのアイデンティティを確立しなければならない。ところがどうだろう、市井をゆく人々に比企 について尋ねても、町名の前につく郡の名前という程度の認識でしかない。この比企青年会 議所は比企市構想の影響を多分に受けて、前進の東松山青年会議所から発展した団体であ ると推察される。我々が我々であるためには、比企は一つの地域であることをあらためて自 覚しなければならない。比企地域にある消滅可能性都市は、いずれ他町村との合併をしなけ れば立ち行かない状況となる。そのときまでに、比企というアイデンティティを確立させる ことが我々の責務であると私は考える。
家族を優先する組織 青年会議所の平均年齢が高いのは、全てをなげやり青年会議所活動に専念してきた結果の反動ではないだろうか。青年会議所の評価を聞けば「大変だがやりがいはある」というも のがほとんどであった。裏を返せば、青年会議所を知る未入会者にとっては、卒業までのキャリアプランが立てやすい年齢にならないと、入会への意欲が湧かない。卒業生が常套句の ように語る、「仕事を犠牲に、家族を犠牲に頑張ってきた」「これからは社会復帰をして仕事 に専念する」という言葉は重く受け止めなければならない。家族があるから仕事ができ、仕 事があるから JC もできることを肝に銘じるべきである。近年では、日本 JC 本会において も「育 LOM」という取り組みが見られるようになった。政府が後押しする男女共同参画に よる労働力の確保を前提とした取り組みだと考えられるが、家庭内の誰か一人に労働力を 集約するのではなく、均等に労働と育児に時間を充てるこの取り組みは、我々の運営方針を 改善する先駆けともなるだろう。
無報酬でかつ運営資金を会員の会費から捻出する団体であるのなら、家族の理解を得な ければならない。どんなに立派なことをしていようと、青年会議所を知らない者からすれば 単なる趣味の一つと変わらない。そしてこの理解を得るということも「多くの時間を割いて JC をやることを理解してくれ」ということではなく、「一般的に許容される時間を JC に充 てることで、それに見合った対価が得られる」という理解でなくてはならない。
会議としての総会、儀式としての総会 総会は全会員が意思表明をできる唯一の場である。近年の総会では、質疑の意見がでることなく、ほぼ全会一致にて可決承認されているが、果たしてそれは正しいのであろうか。皆 が己の意見を述べることにこそ意義があるはずである。そのため、総会でも会員が自分の意 見を自由に述べられるような環境をつくるべきである。


総会のもう一つの側面は、共同体の一員としての結束をもたせることである。総会は我々 の最高の意思決定機関であると同時に、ある種の儀式の場である。人間が言語を解する以前 より多くの儀式が行われ、共同体としての結束は、儀式を通して結ばれてきた。先代より受 け継がれてきた型をなぞることで、自分がその組織の一員であると確認することができる。 そのためには総会にある儀式性をさらに洗練されたものとする必要がある。
組織運営のあり方 体育会系な組織構造からは脱却するべきである。体育会系は組織の結束力を劇的に高める反面、現代の多様性を認め合う社会にはそぐわない。どれだけ組織のために尽くせるかを 価値基準にするのではなく、感情の伴わない実績を評価するべきである。情をもとに組織運 営を行う人治ではなく、法治を目指すべきである。仏教が国際的な宗教となり得たのは釈迦 の人徳によるものではない。その教えを拠り所とし、規則を整えた法治を行ったからだ。
同様に多様性のある組織を目指すためには、作り上げるリーダー像も個人の能力に依存 するものであってはならい。カリスマ性によって牽引するリーダーを作り出すのではな く、誰でも再現可能なリーダーを作り出す必要があるだろう。


まちづくり
本質的に言えばまちづくりは青年会議所が行うべきことではない。まちづくりを行え得 る人材を開発することが重要である。そのためには、まちづくりを一つの手段として我々は 行動を起こすべきである。そして、まちづくりを行うためには他団体との協力が不可欠であ り、他団体と足並みを揃え運動を展開するためには、継続し一貫した方向性が必要である。 青年会議所は単年度によって組織が変わるため、一歩間違えれば他団体との継続した信頼 関係の構築が難しくなる。単年度制の枠を越え中長期的な計画が必要である。
我々が行うまちづくりは、特定の市町村の魅力を探す作業ではない。自治体の枠を越えた 比企という地域を定義し、意味付けを行うことである。広域を活動領域とする団体であるな ら、その広域を活かす運動が必要である。各市町村にある資源を点としてとらえるのではな く、面として捉えるべきである。星座という言葉が夜空に輝く星の一つひとつを言うのでは なく、星々を結ぶそのつながり自体を指すように、我々は比企地域の市町村同士をなぞり、 そこに価値を見いださなければならない。
比企地域を冠する比企は、もとを辿れば鎌倉御家人であった比企氏に遡る。その比企氏の 支配領域が比企地域であった。しかし、この地域支配は過去のものであり、街道が整備され、 物流や人流が流動的になった現在にはこの地域区分は必要とされていない。現代の枠組み にあった比企地域の捉え直しをしなければならない。それと同じように、比企地域の魅力は 明確になっているのだろうか。比企地域の魅力を問われて、その魅力を即答できるメンバー が果たして何人いるだろう。それだけ我々はこの比企という地域を持て余し、飲み込めてい ない。まずは、我々自身があらためてこの地域を捉え直し、知る必要があるのだろう。


青少年育成事業は運動足り得るか 青少年育成はやりがいも達成感も大変感じられる事業である。しかし、果たしてこれは運動になっているのだろうか。誤解を恐れずに言うのであれば、青少年育成事業は、誰でも唱 えられる目的をもとにした、簡単に達成感を得られる事業である。青少年の満足を指標とす る事業は、苦労することなく指標の達成が可能である。よほどのことが起きない限り、純粋 無垢な子どもたちは容易に満足を示し、子育ての労から離れた保護者は手放しで感謝を表 す。青年会議所でなければできない青少年育成事業も多いにあるが、それは他の団体が行っ ているような事業とは一線を画しているはずだ。
青少年に対して起こせる運動は、地域への愛着を持たせることだ。それを単なる「課外活 動体験」に終始するべきではない。青年会議所の運動の本質を顧みなければならない。
会員開発 会員開発こそが青年会議所のなすべきことではないだろうか。青年会議所は運動をする団体である。水面に波紋を起こすためには一滴の雫が必要なように、運動というムーブメン トを起こすためには、最初に動く人材が必要である。そのためには、青年会議所メンバーへ 自身を磨く機会を与え、運動を起こす人材となる必要がある。
この運動とは社会や地域の課題を解決するものでなければならない。そのためには、社会 や地域の情勢を知り、的確な運動を起こすための知識を得る必要がある。


青年会議所では「想いが人を動かす」というが、想いは教育によって身につくものではない。他者により感化され、理性とは別の、情動性によってもたらされるものである。そして この情動は、幼少期に形成されだれしもが根源的に持っているものだと思われる。つまり、 情動のスイッチを入れることが必要なのだ。
行うべき教育とは、その想いといわれる情動を正しい方向に発揮させることである。その ためには想いの対局にある理性や知識によるコントロールが必要ではないだろうか。人を 愛するのも想いであるが、それと同時に他者を傷つけるのも想いである。人は、愛する人を 抱きしめた同じ手で、拳を仇敵へと振り下ろす。情動を導くためにも、独りよがりの知識で はなく、客観的な事実をもとに知識を得る必要がある。
会員拡大 青年会議所の運動の極地が拡大である。我々が真に事業対象とするのは、事業に参加する地域住民でも、過疎地域の子どもたちでもない。最も重視するべきは我々自身である。運動 の展開のために人材育成が必要であるという前提に立てば、最も育成される環境にあるの は我々自身である。運動を展開するそのためには、我々は共に成長する会員を増やさなけれ ばならない。
我々が人材育成を生業とするのであれば、会員拡大は営業と同義である。商品を売るため には、その売るもの自体の価値を知り、時にはその商品では不得手な部分を知らねばならな い。欠陥を知らずに買った商品はいずれ倉庫の隅で埃をかぶることになるように、我々の欠 点をも包み隠さず伝えなければ、入会後すぐに退会の道を進むであろう。
広報 インターネットが普及した今、情報は「入ってくる」ものから「取りに行く」ものへと変貌を遂げた。流行の SNS は目まぐるしく変わり、最盛期もあまりに短い。果たして我々は この変わりゆく流行に対応できるのだろうか。多くの企業、個人がインターネットを介した 発信をするなか、我々の広報が質、量ともに他の団体と肩をならべることができるのだろう か。人数の多い LOM であれば人的リソースを割くことができるが、継続的に広報を行って いくことは難しいだろう。であれば、我々が取るべき戦略は、他者の力を借りて広報するこ とである。メディアの大小を問わず、発信力のある者・団体に我々を発信し、彼らの手によ って広報をする戦略が必要だろう。
ホームページは情報を発信する入り口とはならない。比企青年会議所という団体を知っ た者に対して、我々を信頼付けるための場である。門構えの立派な家は、中が見えずとも家 屋も壮厳であることを自ずと想像するように、継続した広報が行われている団体に、人は信 頼を覚える時代になってきている。